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新選組始末記
下母澤寛
「歴史を書くつもりなどはない。ただ新選組に就ての巷説漫談或は史実を、極くこだわらない気持で纏めたに過ぎない。従って記録文書のわずらわしいものは成るべく避けた。しかし近藤勇という人物には、ちょっと面白いところがあると思った。いい、わるいは別として、本当に憎めたり、本当に泣いてやったりの出来る人間である。」(巻頭言より)
今からちょうど30年前、1974年のNHK大河ドラマは下母澤寛原作の「勝海舟」だった。当時六年生だった私は、単純に「勝海舟」という字面のカッコよさに惹かれ、何の予備知識もないままなけなしの小遣いをはたいて上中下三巻の原作を購入した。攘夷とか、大政奉還とか、幕末ならではの用語の意味さえ知らない無謀な読書だったため、結局ほとんど内容を理解できなかったが、これがそもそも幕末史に触れるきっかけとなった。
さて本書は、当時まだ新聞記者だった著者が昭和三年に出した処女出版作であり、後の「新選組遺聞」「新選組物語」と合わせ新選組三部作として広く知られている。史実と巷説を新聞記者ならではの現地踏査と聞き取り調査によって再構成し、隊士達の生き様を客観的に描き出した実録であり、今や新選組研究の“原典”“定本”と呼んでも過言ではない。
何しろ本書が世に出るまで、新選組イコール“勤王の志士に群がる虎狼の如き人斬り集団”だと、大多数の国民は思っていたらしい。まさに新選組の歴史的評価を変える発端となった記念すべき書であった。
ついでながら、あの「座頭市」の原作者も下母澤寛である。
「剣戟閃めく中に、京の夏の夜は明ける。新選組が、壬生の屯所へ引揚げの時の沿道は見物の人をもって埋まった。沖田は幸に元気が恢復したので、隊士に看護されつつ歩いているが、藤堂は血だらけのまま釣台で運ばれ、永倉も全身血だらけであった。
隊は二列。近藤、土方は、微笑を含んで、あれ程の死戦をやったとは思われぬ程に落着いていた。
打合いのため、曲ったり、折れたりして鞘へ入らない刀は、みんな抜き身のままである。」(「池田屋事変」より)
(2004/3/22更新)
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