|
ケータイを持ったサル
正高信男
「そもそもケータイを使いだすと、常に身につけていないとどうも不安な気分に陥るらしい。さきほどまで会っていた相手と離れるや、ただちに『元気?』とか、あえて伝える価値のない情報を交信している。しかしそんなことは、大昔からサルがやっていたことなのだ。ニホンザルも起きている間中、誰かとつながっていないと落ち着かないようである。」(第三章「メル友を持ったニホンザル」より)
成熟した大人になるのを拒否する今どきの若者を、気鋭のサル学者が学問的に分析した本というので、結構期待して読み始めた。ただその期待感は「はじめに」の2p目で、(そんな態度で大丈夫なの?)という不安感に変わってしまった。
「私は携帯電話を持っていない。だから『メル友』もいない。」
おや、そんな頑なな態度のまま、“ケータイを持ったサル”の心理分析をしていいのだろうか?おまけに前後の文面から察するに、携帯電話を持たない自分を少し誇らしく感じている様にも受け取れるし。
サル学の領域なら、自身がサルになれない以上“客観的観察”というアプローチを取らざるを得ないけど、ケータイは今すぐ「0円」で持てる訳だから、まずは持つ事から生まれる“世界観”を身をもって体験した上で持論を展開するのが、フェアな姿勢じゃないかなと思う。そもそも公共の場所で傍若無人にケータイで話すサルの多くは、著者の世代のオヤジ達だったりするのだから。
「・・・もっと心理的な要因が、子を持つことを控えさせているのではないだろうか。
乱暴な表現だが、若いカップルにとってそれは『誰かについて全面的に責任を引き受けることへの恐怖』とでも表現できるのかもしれない。あるいは、『自分たちが依存される対象となることへの嫌悪』と言いかえても差し支えないだろう。」(第六章「そして子どもをつくらなくなった!」より)
(2004/5/13更新)
|