| 隠し剣秋風抄
藤沢周平著
「血をふき取った懐紙を、左十郎の死体のそばに捨てると、甚六は立ち上がってあざやかな手つきで刀を鞘にもどした。
快い酔いが身体を駆けめぐっている。少し飲み足りないが、気分は上上と言えた。
『さて、次は稲垣の屋敷だ。ケリをつけてやるぞ』」(「酒乱剣石割り」より)
「隠し剣」シリーズ、孤影抄八編に続く九編の短編集。前回二冊分まとめて紹介しようとも思ったが、もったいないから二回に分ける事にした。
酒乱、偏屈者、好色漢、盲目の剣士など、今回も多士済々の“剣豪”がギリギリの場面で秘剣の技を繰り出し、己の尊厳と誇りを守ろうとする。その剣技の描写自体もちろん魅力ではあるが、そこに追い込まれるまでのプロセスが毎回変化に富んでいて飽きさせない。作者本人もあとがきの中で「小説の締切りは、たいていは苦痛と一緒にやって来るのであるが、その意味では、この中の何篇かはめずらしく楽しみながら書いた」 と記している。藤沢周平ほどの作家が楽しんで書いたのだ。読んで面白くない訳がない。
「奥富は、上意とひと言告げると、片膝を立てて抜き打ちに庄蔵に斬りかかった。坐ったまま庄蔵は捩るように上体をかたむけて、奥富の迅い剣をかわした。そしてかわされて前に傾いた奥富の胸を、眼にもとまらぬ小刀の動きで刺していた。蟇は死んで動かない虫は食さないという。庄蔵も、奥富初之丞が動きを起こすのを待っていたのである。庄蔵の剣はさながら鈍重な蟇が一閃の舌先で翔ぶ虫を捕らえたのに似ていた」(「偏屈剣蟇ノ舌」より)
(2004/7/17更新)
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