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怪獣な日々
ーわたしの円谷英二100年
実相寺昭雄著
「要するに、あのころは、怪獣たちが毎週登場する下地があったわけだ。時代的にも、環境的にも。これが、怪獣出現の作劇上の支えである。
だから、感情移入は滅びゆくものへの挽歌という趣になった。」(「ウルトラ・シリーズの怪獣たち」より)
いい年こいた大人のくせして、いつまでもウルトラマンやウルトラセブンを熱く語るのってどーよ、なんて思わないではない。我々より少し上の世代が、何かにつけて(ホントか嘘か分からんけど)「ビートルズに影響を受けて云々・・・」と語るのに比べて、何と幼稚に思えることか。同窓会の様な集まりでこの種の話題に火がつくと、いっぺんに男女の間に断層ができてしまう。でも当時の男の子でウルトラシリーズを見ずに育った者はいない訳だから、男同士の共通言語としてこれに勝るものはないのだ。特にセブンは、ドラマとしても良く出来ていたしねぇ。
実相寺氏の著書を読んだおかげで、もう一度全編通してウルトラセブンが見たくなった。TSUTAYAで借りて、夜中に一人でこっそり楽しむことにしようか。
「つくり手としては、どうしても眠りを妨害される地霊のほうへ感情と関心がかたむいていたわけで、ヒーローを熟知させ、正義の御旗を担ぐ気にはなれなかったのである。
その地霊とか、水の精とか、樹霊といったものが怪獣というかたちをとって、毎回、ヒーローに対峙していたわけだ。端的にいえば、自然と開発の対立という図式が、怪獣とヒーローの根本にあったものだろう。」(「『ウルトラマン』二十五周年偶感」より)
(2004/8/1更新)
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