酒本舗

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十二月の酒と本(五)

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山丹正宗

山丹正宗(愛媛)
純米
720ml/1500円


原料米には愛媛の良質酒造米「松山三井」を使用。木箱式の手作り麹を使い、精米歩合は吟醸酒並の55%で、仕込み日数も普通の酒より10日間程長く取っているとのこと。飲み口こそさらりと軽いが、喉越しにじわりとコクと旨味があるタイプ。ぬる燗にしてみると一段と飲みやすくなった。
ちなみに山丹正宗は1831年(天保2年)創業で、創業者の出身地である丹波から名付けた銘柄とのこと。

メディア文化論

 

メディア文化論
吉見俊哉

当時の多くの日本人の意識にとって、テレビが「買う」ものではなく、むしろ「やって来る」ものであったという点です。1982年に日本民間放送連盟が「私とテレビジョン」思い出の出会いについて一般視聴者から454題に及ぶ投書を集めていますが、その主なものには、テレビがそれぞれの家庭に「いかにやって来たが」が生き生きと記されています。(第11話「テレビが家にやって来た」より)

物心ついた子供の頃から学生時代までは、テレビと深夜ラジオが自分のコミュニティにおける共通の情報源であり、ヒット曲や世間の話題を知るきっかけであった。マスメディアという“大通り”を歩きながら世の中の動きを知り、会話を成立させながら、自分の立ち位置を確認していた。
しかしインターネットとケータイが登場してからは、人間と社会との付き合い方、人間同士のつながり方の意識も確実に変貌を遂げたようだ。何かが知りたければ(多少怪しいモノも含め)いつでも情報が得られるし、どこにいても誰かと“つながっている”のだから、あえて“大通り”を歩かなくてもさして不都合はない。そして何よりも大きな違いは、誰もが発信者となって自己を拡張し、世の中へ向けて自己を表現できるメディアを手に入れたこと。即ちそれは、誰もがその気になれば新たな付加価値を生み出す創造者にもなれるし、社会に毒をまき散らす破壊者にもなれるということである。
マクルーハンはかつて「テレビが先に登場していたら、そもそもヒットラーなど存在しなかったろう」(メディア論 1964)と言ったが、ネットやケータイの進化によっては、もっと始末の悪い“怪物”が世の中を徘徊することになりそうだ。

(2005/12/20更新)

 
       

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