| 瞬間の君臨
−リアルタイム世界の構造と人間社会の行方
ポール・ヴィリリオ著/土屋進訳
これからは、全てのものが出発することなく到着する。これまでの力学利用の乗り物(すなわち、動く乗り物、自動の乗り物)による到着地は、限定された場所だった。その限定された到着地が、突然、オーディオ・ヴィジュエルという「動かない乗り物」(画像イメージと音響イメージ)による場所を問わない到着地に置き換わってしまうのだ。こうして極の不動(一方の極からもう一方の極へ移動するという概念の無力化)が始まる。(第2章「最後の乗り物」より)
映像メディアやインターネットの発達は、空間や距離に対する人間の感覚を大きく変容させた。訪れたことのない国や土地にも行ったような気になっているし、実際にリアルタイムでN.Y.やパリの“今”を見聞きすることもできる。「光速の乗り物」=光の技術を駆使した瞬時コミュニケーション技術は、あたかも知覚(特に視聴覚)が拡張したような錯覚を人間に起こさせているが、実はそこで得られる大半のものには実体がない。今後どのように技術が進化しようとも、メディアは「どこでもドア」にはなり得ず、ドアの向こう側に行って実体に触れることは決してできないのだ。
そして実体がないという事実を頭では理解しつつ、私たちは年々加速する一方の“現実社会”を遊泳し、お互い分かったような口を聞いているのである。
透明という言葉は、今や、「視線を投げかける瞬間に事物の外観が見える状態」を指すだけではない。「突如として外観が遠くから瞬時転送される状態」をも指すようになる。こうして「現実空間」の透明という語だけでなく、「リアルタイム」の外観移送という語が必要になる。(第4章「環境コントロール」より)
(2006/1/13更新)
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