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群馬泉(群馬)
山廃もと純米
720ml/1134円
口当たりはまろやかながらしっかりと飲み応えがあり、重すぎず、程良く酸と熟成味を感じる通好みの山廃純米。燗にするとより一層辛みを増す。いかにも味の濃い料理と合いそう。
群馬泉の蔵元である島岡酒造は、幕末期(1863年)の創業以来生もと系山廃造りを貫いている上、ミネラル分を大量に含んだ硬水で仕込んでいるため、男性的でコシの強い味わいの酒が主軸となっている。
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広告の迷走
梶祐輔
それは「活字力」と呼んでもいいものかも知れない。
活字力は、文字化された「耳の言葉」にピーンとした張りと、輝きをもたらす。美しさと気品を与える。それは軽すぎて、つい視線が上滑りしそうな電波媒体出身の「耳の言葉」の表現にも、人を動かす力を吹き込むことのできる可能性を示唆している。(第五章「『農耕民族』の座に安住した新聞広告」より)
「少し愛して。なが〜く愛して。」「おいしい生活」など、一行のコピーが軽やかに世の中の気分をすくい取り、人々の気持ちの最大公約数を象徴するという、コピーライターにとっての幸福な時代はとっくの昔に終わりを告げた。その事を象徴的に表す一つの例が「流行語大賞」。「私はコレで会社を辞めました('85)」「亭主元気で留守がいい('86)」「5時から男('88)」「24時間戦えますか('89)」「ダダーン ボヨヨン ボヨヨン('91)」「すったもんだがありました('94)」など、かつてランキングに数々の流行語を送り込んだ広告コピーは、何と1995年の「変わらなきゃ」(日産自動車)を最後にバッタリと姿を消した。日本国民全般にとってTVが生活の中心だったかつての時代と違い、若い世代が新聞もTVも雑誌さえも見なくなった今日、一行のコピーが世の中を動かすことは、もはやあり得ないのかも知れない。
ぼくは企業にとって、自分を語ることは、商品を売ることよりも大事なことだ、と考えている。いや、もっと正確にいえば、企業にとって自分を語ることは、商品を売るための「原点」、もしくは「先行条件」ではないかと、考えるのだ。(第五章「『農耕民族』の座に安住した新聞広告」より)
(2006/1/18更新)
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