| キャッチャー・イン・ザ・ライ
J.D.サリンジャー著/村上春樹訳
それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。(22より)
かつて読んだ時にはさほど心惹かれることもなかったが、先だって読んだ「サリンジャー戦記」で充分に予習を積んだせいだろうか、今回改めて読み返してみて、この本がこれ程長きにわたって多くの人を引き付け、読み継がれてきた訳が少し判った気がした。それは自分自身が若い頃よりもいろんな面で抑圧されているせいかも知れないし、いろんな経験を経て多少世の中が見えてきた分、ホールデンが持つ“イノセンス”の希少さ、はかなさを愛おしむ余裕が生まれているせいかもしれない。
いずれにせよ、ホールデンの言動に同世代として共感しながら読み進めるのと、おじさんがある種のノスタルジーに浸りつつ「ああ、そんな時期もあったなあ」と思いながら読むのとでは、この本がもたらす影響力は全くもって異なってくるだろう。
先になって君が何をしているかなんて、実際に先になってみなきゃ君にだってわからないんじゃないか?うん、わかるわけないよね。まあたぶんちゃんと勉強するだろうって思ってるよ。でも先のことは先のことだ。だからさ、そういうのって見事にとんまな質問なわけさ。(26より)
(2006/9/14更新)
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