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霞山(茨城)
純米吟醸生
720ml/1365円
蔵元は茨城県笠間市にある須藤本家で、その歴史は文献で分かっているだけでも1141年まで遡るとのこと。出荷する酒の全てが無濾過で、造る酒は純米大吟醸・純米吟醸のみ。ごく一部を除いて火入れをしない本生である。
「霞山(かざん)」は「郷乃誉」のサブブランドで、麹米に契約栽培山田錦、掛米に美山錦を使用。しっかりと確かな存在感のある飲み口の中に、程良い甘さ、コク、キレ、後味等が高い水準でまとまっており、奥行きのある深い味わいを持つ。本生の吟醸ではあるが、あまり冷やし過ぎない方が味に膨らみが出て旨い。
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ジャーナリズムと権力
大石裕
ジャーナリストが生み出すストーリーやプロットには、社会で共有されている物語が大きな影響を及ぼしている。そして、そうした過程を経て生み出されたニュースが、既存の物語を補強するうえで重要な役割を果たすことになる。言い換えれば、ニュースは現代における集合的記憶または「神話」を再生産し続けているのである。(第3章「ニュースの物語とジャーナリズム」より)
世の中では日々多種多様な出来事が起こる。その全ては厳密に言えば、発生した日時や場所、関係する人間、細かい事象等、どれ一つ“同じ出来事”はない。ただジャーナリズムによる報道を通じて、本来個別であるはずの出来事は、過去や同時期の類似した出来事と関連付けられ、一定の文脈が与えられてゆく。そして多くの人々はそうした物語的構造の助けを借りることで、初めて出来事の意味を理解することが可能になる。こうした出来事の“名付け・意味付け”はジャーナリズムの重要な役割の一つだが、同時に“名付け・意味付け”できる立場そのものが、一種の強大な“権力”であるとも言えるのだ。
通常「ジャーナリズムと権力」を論じる場合、権力の監視機関として、あるいは“第四の権力”としてのジャーナリズムがテーマにされることが多いが、実はニュースを“物語化”する力も権力になり得ることを、本書を通じて改めて認識することができた。
大多数の人々は、ジャーナリズムによって提供される情報をもとにして、自らの頭の中に「現実」を構築し、構成し、社会をイメージしている。それとは逆に、ジャーナリズムによって選択されず、報道されなかった出来事や問題・争点は、その当事者以外の人々にとっては、「現実」として認識されることはない。(第4章「世論調査という『権力』」より)
(2007/5/20更新)
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