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匠(京都)
大吟醸山田錦
720ml/1050円
大吟醸で山田錦100%使用でこの価格というからには、山田錦と言ってもかなり低い等級のものを使わざるを得ないだろうが、まずはその企業努力に乾杯。蔵元は伏見の京姫酒造、灘の「浜福鶴」同様世界鷹小山本家グループの一員である。開栓した当初は苦味が先に立ち、味もどこと言って特徴に欠けていたが、一週間程寝かせるとほんの僅かながら味わいが深まり、食中酒としてならまあ悪くないかな、と思えた。
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一号線を北上せよ
沢木耕太郎
ここに収めた文章は、この十年余りにおける、その時その時の、私の「一号線」を求めての旅のスケッチである。それは誰かの跡を追う旅だったり、何かを知るための旅だったり、スポーツの試合を見るための旅だったり、その時々によって「一号線」は変わっていったし、「北上」の仕方もいろいろだったが、常に私の「夢見た旅」だったことは間違いない。(「一号線はどこにある?」より)
カッサンドルのポスターと特徴的なタイポグラフィを組み合わせた装丁は、あの懐かしき「深夜特急」が帰ってきた様で、表紙を捲る前からいやが上にも期待が高まる。中でも、バックパック片手にバスに揺られながら安宿を転々とする・・・という「ヴェトナム縦断」の旅のスタイルは、まさに「深夜特急」そのものだ。
ただ読み終えた後でふと思う。今の沢木にとって、若き日の貧乏旅行をなぞる必然性がどこにあるのだろう? 過ぎ去った若き日への感傷? 単に読者が期待する“沢木らしい”紀行文を綴るための設定だとすれば、少し哀しい。
そして本書の掉尾を飾る「記憶の樽」は、まさに二十年前の旅の記憶を頼りに、かつての“夢の酒場”を再び訪れようとする、中年男の“センチメンタルジャーニー”の記録だ。かつての沢木のダンディズムからすれば、この様な過去を振り返るため“だけ”の旅を文章にはしなかっただろう。彼自身本書の中で、《若いうちは若者らしく、年をとったら年寄りらしくせよ》というペルシャの箴言を引きながら、年配の日本人団体旅行者に優しい目線を送っている。
そう。我らが沢木耕太郎も今年で還暦なのだ・・・。
以前、私が日本の団体客とそうした欧米の個人旅行者と比較したらどう思っただろう。外国を緊張感もなく旅しているツアー客を困った存在と見なし、一人か二人で毅然と旅行している欧米の旅行者を肯定的に捉えたことだろう。
しかし、いま、私はこの日本の団体旅行者たちのことを「いいなあ」と思いはじめている。(「ヴェトナム縦断」より)
(2007/7/26更新)
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