| 甲子園が割れた日
松井秀喜5連続敬遠の真実
中村計
「あの試合でいちばんしんどい思いをしたのは星稜の5番バッターでしょう。月岩でしたっけ。大学で野球を辞めたって聞きましたけど」
月岩信成。「4番・松井」の次の打者だ。あの試合、月岩はスクイズを1本決めた意外は4打数無安打だった。もし月岩に1本出ていれば、おそらく試合展開はまったく違ったものになっていた。確かに、ある意味では松井以上に辛い思いをしたに違いない。
河野に指摘されるまでそんなこと考えたこともなかった。(第一章「失望」より)
敬遠は、野球における一つの作戦である。打たれる確率の高い打者を避ける代わりに、無条件で塁を与えるというリスクを犯して次打者との勝負に賭ける。ルール違反でもなく卑怯な行為でもない。ただ1992年8月16日、甲子園で星稜高・松井秀喜が5打席連続で敬遠された時、一般の野球ファンは勿論のこと、マスコミ、評論家、更には時の高野連の会長までが、明徳高が採ったこの“戦術”を非難した。ご多分に洩れず元野球少年だった私も、「ピッチャーは勝負したかったやろな」と、勝利最優先主義の権化と映った馬淵監督に怒りを覚えた。
本書の取材も、そんなありふれた明徳ナインへの同情から始まっている。そして最後まで読み切った読者は、あの“事件”に関わった人々の心理と意志が、実は全く別次元の高みにあったことを知り、高校野球において勝利とは何なのか?そして野球というスポーツにおいて“勝者”とは誰なのか?というテーマの奥深さを突きつけられることになる。
松井の野球観、星稜の野球観は透明だった。
だが、それは馬淵をはじめとする明徳にも言えた。星稜に劣らない透き通った部分があった。山口がこんな言い方をしていた。
「あいつらは真っ直ぐなんですよ。キャッチャーなんて生き生きしてたでしょう。ボール捕ったらすぐ返して。ただ監督のいうこと聞いてただけかもしれないですけど。そういう面ではあいつらは純なんですよ」
両校の野球観の違いの背景にあったもの。それは、野球に純粋だったのか、勝負に純粋だったのか、その違いだった。(第五章「挫折」より)
(2008/3/9更新)
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