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小鼓(兵庫)
茶・純米
1800ml/2552円
全国でも10蔵と使用していない、地元丹波市島町産の有機米「兵庫北錦」を使用。ほんのりと甘味を感じさせつつ、しっかりと米の旨味が活かされたコクとキレのある純米酒である。蔵元は丹波杜氏の郷・丹波市で嘉永2年(1849)創業の西山酒造場。「小鼓」の銘柄は大正3年(1914)に俳人の高浜虚子によって命名されたもの。
当夜の肴はほっけ、鶏フライのタルタル添えなど。三宮「わっちゃあ」にて。
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オタクはすでに死んでいる
岡田斗司夫
つまり、「俺たちは同じだ」っていう感覚よりも、「俺たちとあいつらとは違う」っていう差異の方がどんどん気になりだしている。そういうオタクが増えてきた。だから、すぐに「あいつはわかっていない」と排除をしたがる。それが現状だと思います。
これが「オタクが終わりつつある」ということの本質なのです。(第2章「『萌え』はそんなに重要か」より)
「オタクは死んだ」。本書で著者はそう宣言している。オタクでも何でもない大多数の読み手にとっては、そんなの関係ねぇ話。ただ何となく気にかかって読み始めると、どうやら著者が本当に論じたかったのは「昭和の死」であり、昭和的価値観の消失による社会の変容であることが透けて見えてくる。
「働くのは損」「大人になるのは損」「自分に都合の悪い奴は悪者」という感性が幅を利かせ、日本国民はどんどん「お子様化」しつつある。給食費を払わない親、病的なクレーマー、「オンリーワンの自分」を探し続ける大学生、何かとバッシングを仕掛けたがるマスコミ・・・。これらがすぐ隣にいる平均的日本人の姿となった。「××の品格」といった類の本が売れるのも、見本となる大人が周りに見当たらず、マニュアル本から「品格」を教わるしかないからだ。そしてこんな世の中が進んでいくと、オタクはもはや特別な存在ではなくなる。故に「オタク民族」は、死ぬ。
先頃読んだ「世界征服」は可能か?もそうだが、この著者は取っつきやすいタイトルの陰に、やや別の「本題」を仕込んでいる様だ。
これからは、「アニメが好きだ」「ゲームが好きだ」「鉄道が好きだ」といった「好き」の気持ちは、各個人が守って育てるしかありません。もう「オタクだから」という言い訳はききません。そんな逃げ場になる大陸はなくなりました。
「オタク」だからということで、それぞれの気持ちを支えてくれたり、正当化してくれたりする権威ももういません。・・・(中略)・・・「わかってもらえなくても平気」という貴族主義はもう通用しませんし、「こんないいものがあるんだ、わからないおまえらが悪いんだ」というエリート意識も通用しません。(第7章「貴族主義とエリート主義」より)
(2008/7/22更新)
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